論壇: 「あなたも復活する」(礼拝説教要旨) 2018年4月1日
今から約2000年前キリスト教が始まりました。キリストの弟子たちはエルサレムから、ユダヤ、サマリヤ、地の果てへと出かけて行き、「ナザレのイエスは復活した」というニュースを伝えて歩きました。
彼らの最初の伝道対象は、旧約聖書をよく知っているユダヤ人たちでした。つい最近起こった「ナザレのイエスの十字架刑」というニュースがユダヤ人社会におどろくべき速さで伝わっていましたが、「復活」という新しいニュースが古いニュースを追いかけて行きました。
パウロがこのニュースを異邦人世界に伝えた時、アテネでは「外国の神々の宣伝をする者」と思われました。パウロは「イエスと復活」と言ったのですが、ギリシャ語の復活(アナスタシス)は女性名詞なので、聞いている者たちにとっては「イエスという男の神、アナスタシスという女神、夫婦の神々」を宣伝するという新興宗教だと思われたのです(使徒言行録17:18)。それほどまでに、キリスト教最初のメッセージは「復活」でした。
ところが当時の世界では「精神は善、物質は悪」という哲学的常識のもと、「精神(霊魂)は肉体という牢獄に閉じ込められているが、死によって肉体から解き放たれ、真に自由な存在となる」と考えられていました。従って死後肉体が復活するなどということは愚かな考えとされました。
パウロは「天上の体と地上の体は異なる」とか、「自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活する」(Ⅰコリント15:35~49)と苦労して説明していますが、この世の常識という既成概念に閉じ込められている人々を説得するのは困難でした。現在の肉体がそのまま復活するなら、「天国は老人ばかりではないか」とか、「生まれつき障害を持つ人の復活の体はどんな体なのか」という疑問がわいてきます。「霊の体が復活する」という発想の大転換が必要なのです。
現代の日本人は「死んだらどうなるか」と聞かれて「無」になると答える人が圧倒的です。しかし「その根拠は?」と聞かれても明確に答えることができません。人は物質で出来ており、死んだら焼かれて灰になるか埋められて土に還り、どちらにしても無くなるので、と考えるのでしょう。
物質とは異なる私の「霊」はどうなるのでしょうか。聖書は明確に答えています。「塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る」(コヘレト12:7)。その後は全く神様の領域です。神は命を創り出す方、人間は神の被造物です。「私は神様によって命与えられ、神の栄光を表わすという使命をもってこの世に送り出された。そして神の元へ帰る」のです。イエス・キリストは全人類の代表者として、復活によって、固く閉ざされた扉を自由に出入りするという不思議な体を与えられ(ヨハネ福音書20:19)、光に包まれて天に昇られました。それは私たちに、すばらしい死後の世界を確信させるためでした。キリストを信じるクリスチャンも復活するのです。