礼拝論4、賛美

論壇:        礼拝論4、賛美         4/8/2018

2/18、2/25、3/4の論壇で「礼拝論」を、毎週シリーズで取り上げてきました。「説教」についての考察(3/4)まで終わったところで春の行事が重なり、「神奈川伝道協議会」「聖書の霊感論」「棕櫚の日曜日」「復活」と扱ってきましたので、1カ月ほどブランクができてしまいました。皆様には今までの礼拝論の論壇を読み返していただきたいと思います。

神賛美は公的礼拝に欠かせません。ウェストミンスター小教理問答の有名な第1問は、「人のおもな目的は何ですか」と問い、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」と答えています。2015年に出版された袴田康裕訳では「神の栄光をたたえる」と翻訳しています。原文はglorifyで、glory(栄光、誉れ)の動詞形ですから

「神をたたえる」で良いのですが、一体どのような行為が神の栄光をたたえることになるのかというなら、結局神を賛美することです。

CRCのスパーリンク宣教師はよく「神の栄光をあらわす」という日本語訳は良くない。glorifyとは賛美だと、常に主張しておられました。

詩編に重要な一節があります。「主を賛美するために民は創造された」(102:19)。私たちが造られた理由は神を賛美するためなのです。神様はこの賛美のために天使たちも創造されました。クリスマス物語では、有名な「天の大軍」の賛美が、夜空一杯に広がってイエスの誕生をほめたたえました(ルカ2章)。神は賛美を喜ばれるのです。

私たちはどんな時でも神を賛美し続けるべきですが、特別に公的礼拝においては、神をほめたたえることが礼拝の中心です。そしてその賛美は、洗練された、技術の高いものでなければなりません。奏楽者は会衆賛美をリードする責任ある立場ですが、会衆も音程に注意し、歌詞の意味をわきまえながら、心から神を賛美するべきです。調子外れのメロディーでは困りますが、心からの大きな声で賛美すべきです。小さな子どもがせいいっぱいの大声で賛美しているのに、大人の声が細々では困ります。賛美が満ちあふれている会堂には、悪魔は寄り付くことができません。

しかしどのような讃美歌を賛美するべきか、これは代々の教会でいつでも議論になるところです。若者向けの現代風讃美歌だと高齢者に合わないとか、その逆のことも言われます。この件では2/25に行った全員懇談会「礼拝と伝道を考える」で出た意見が適切だったと思います。それは「若者向けの讃美歌も考える必要があるが、それ以上に、どんな讃美歌であろうと、心から大きな声で賛美するなら、そこに感動が生まれる」でした。これが最も重要なことです。

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