モーセは死ぬ前、ヨルダン川東のモアブ平野、ネボ山のピスガ山頂に登り、ヨルダン川西の約束の地(エリコまで27km)を見渡しました(申命記34:1-4、讃美歌310:3)。伝承では預言者エレミヤは、十戒の石の板が入った契約の箱をこの地の洞穴に隠したとされます(旧約聖書続編マカバイ記Ⅱ2:4-6)。1933年、この地から教会と修道院の跡が発見され、現在はここにフランシスコ派の教会と修道院(写真左)が建っています。ローマ教皇が訪問したというので、現在は観光地となっています。
さてこのモーセ終焉の地ピスガ山頂のシンボルは青銅の蛇で、十字架との組み合わせです(写真右)。なぜ蛇か、それは青銅の蛇を見上げた者は傷が癒されたという故事からですが(民数記21:10)、後にこの蛇の像はネフシュタンと呼ばれて偶像礼拝となり、ヒゼキヤ王の宗教改革によって破壊されました(列王記下18:4)。なぜ十字架と蛇か。それはヨハネ福音書3:13、14から来ているのでしょう。「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そしてモーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も(木の上に)上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」
青銅の蛇を「見上げれば命を得る」(民数記21:8)とは、人間理性では愚かな命令ですが、神の言葉だから従います、と理屈を立てずに従った者は癒されました。呪いのシンボルが救いとなったのです。イエスの十字架は神の呪いであり(申命記21:23)、この世的には挫折と敗北のように見えますが、全人類に対する神の呪いを一手に引き受けられた主の十字架は、私のためだったと信じて「見上げる」者には永遠の命が与えられるのです。