永遠の神の契約

論壇:         永遠の神の契約        8/2/2020

ダビデ・ソロモン王朝はわずか80年ほどで弱体化してしまいます。その理由をこの世の歴史家は次のように述べるでしょう。イスラエルが最大の領土を得たのは、エジプト第21王朝ファラオの娘との政略結婚により、後ろ盾を得たことが大きな要因(列王記上3:1)。しかしソロモンに反逆して失敗したハダドもヤロブアムもエジプトに亡命し、かつ好待遇を得ている(列王記上11:4-19、11:26-40)。それはBC945年にエジプトでクーデターが起こり、リビア人・シシャクの第22王朝に変わったからだ(11:40)。シシャクはソロモンが蓄えた莫大な富をすべて奪い取った(14:25、26)。あっという間のイスラエルの栄枯盛衰だった、と。

聖書は歴史の出来事を信仰によって解釈した書物です。だからこの世的因果関係も書きますが、それ以上に、ソロモンの政略結婚によって持ち込まれた偶像礼拝を神がお怒りなったという点に、より大きな原因を見出すのです。

出エジプト記には有名な神の自己紹介の一文があります。「主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」(34:6、7)

「世代」は30年を表す時間の単位ですが、これは文化・民族によって異なります。日本の文学的な表現では「昭和一桁世代」「団塊の世代」「しらけ世代」「バブル世代」などの言葉もあり、これらはもっと年数が短くなります。

聖書の「千代」を30年で換算すると3万年で、「幾千代」とは要するに「永遠に」という意味です。松尾芭蕉の「奥の細道」に、李白の詩を引用した「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」という有名な言葉があります。これは「月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎゆく年もまた旅人のようなものである」という意味です。東洋人の感覚では永遠とは3000年なのでしょうか。

神はアブラハムに「見えるかぎりの土地をすべて、私は永久にあなたとあなたの子孫に与える。」(創世記13:15)。ダビデには「あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。・・私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」と契約されました(サムエル記下7:12,13)。

神は永遠ですが、契約当事者の人間は有限です。そうするとこの契約は釣り合いません。それなのに聖書では「わが僕ダビデのともし火が私の前に絶えず燃え続けるようにする」(列王記上11:36)。「エルサレムにともし火をともし、・・エルサレムを存続させる」(15:4)。「ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束された」(王下8:19)と言われます。

この契約はイスラエルの歴史上では成就しませんでした。神の永遠の契約は人間によって破綻したのでしょうか。そうではありません。人間の世界は世代による継続性がありませんが、神が永遠ですから「神の永遠の契約」はアブラハム契約、ダビデ契約、永遠のキリストの再臨、神の国の完成へと、今成就しつつあるのです。キリストを救い主と信じる私たちは永遠の神の契約の中に入れられているのです。

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