論壇: 宗教改革運動 2、贖宥 10/25/2020
ルターが攻撃したローマ・カトリック教会の免罪符(免償符)は贖宥という神学を根拠にしています。これは字義通りには、贖(あがなう)=刑罰を免れるために金品を差し出すこと、宥(なだめる)=受けるべき罰が免除されること。従って私たちが罪のために受けるべき刑罰が、何らかの方法で免除されるということです。人が犯す罪に対しては必ず償いが求められる。これを免除してもらうために何らかの行為が必要だというわけです。この考え方は「人は行いによって救われる」という神学に基づいています。この神学に対してプロテスタント教会は「人は行いによってではなく、キリストを信じる信仰のみによって救われる」と主張したのです。
それではカトリック教会は、贖宥を与えることのできる根拠をどのように考えたのでしょうか。それは第1に、過去の聖人が積み重ねた功徳が源泉です。一般の庶民は自分の罪を償うほどの善行はできない。しかし宣教のために野蛮人に殺された殉教者や、十字軍に参加して戦死した信者たちは聖人と見なされ、彼らは死ぬまでの間に自分自身の「罰」の総和を上回る善行を行ったので償いが余剰しており、その余剰は教会に蓄積され、教皇はその余剰を管理して分け与えることができるというものです。
第2に教会が保持する「聖遺物」があります。ヘレナがエルサレムで収集してきた様々な聖遺物、特にキリストの十字架の破片、衣は最大の贖宥の宝物となりました。また聖人の衣鉢、身の回りの品々などと聖遺物はどんどん増え、これらは大きな贖宥の根拠とされました。ついにはキリストの毛髪、爪、弟子の衣服、サンダル、マリアの衣服を持つと主張する教会が出現し、「高貴にして聖なる教会」が与える無限の贖宥を宣伝しました。宗教改革者カルヴァンは「諸教会が持つと主張する十字架の破片を全部集めれば、実際の十字架の何倍もの大きさになってしまうだろう」と揶揄しました。
第3は「煉獄」の思想です。「死後の裁きを受けて、人間はどのようになりますか」 答「…人間はそれぞれ、ただちに天国の幸いか、地獄の罰か、煉獄の(火の)きよめを受けます」(カトリック要理14:61)。
煉獄で苦しむ近親者たちの魂は免償符(免罪符)を買うことによって脱出することができる、と教会は宣伝しました。そしてこのような親孝行の善行こそが自分たちを煉獄から免れさせると宣伝され、免罪符が売られるようになった時ルターが立ち上がったのです。