論壇: インマヌエルの神 11/14/2021
インマヌエルは「神は私たちと共にいます」という意味ですが。これはイエスの別名でもありました(マタイ1:23)。詩編46編には「イマヌー」(私たちと共にいる)という言葉が2回登場します。「万軍の主はわたしたちと共にいます」(8、12)。この詩はどのような時でも神が必ず私たちと共にいてくださると確信し、神を賛美しています。大地震のときにも津波のときにも神は私たちと共にいてくださいます。
ここから、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)のとき、神戸改革派神学校に避難した人々を集めての礼拝集会で、詩編46編の説教がなされました。また2011年3月11日の東日本大震災後にも多くの教会でこの詩編から説教がなされました。私の3月13日の説教はダブルテキストでミカ書とマタイ福音書でしたが、これに加えて詩編46を読んだことを思い出します。
この詩のもう一つの特徴は「夜明けとともに、神は助けをお与えになる」という信仰です。夜の知らないうちに、私たちが寝ているときに神が働いてくださるのです。これにはイスラエルの歴史的な体験があります。
一つは出エジプトで葦の海を渡ったとき「主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返され」ました。そして「夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った」のです(出エジプト記14:21、27)。
もう一つは紀元前701年、アッシリア大帝国が北イスラエルを占領した余勢を駆ってユダ王国のエルサレムを取り囲みましたが、「その夜、主の御使いが現われ、アッシリアの陣営で18万5千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた」(列王記下19:35)という事件の体験がありました。
神はわたしたちのために夜働いてくださるのです。それは神の介入を人間が見るのは畏れ多いというニュアンスもありますが、もっと積極的には、夜は神の時間だということです。「あなたが闇を置かれると夜になり、森の獣は皆、忍び出てくる。…太陽が輝き昇ると彼らは帰って行き、それぞれのねぐらにうずくまる。人は仕事に出かけ、夕べになるまで働く」(詩編104:20~23)。
私たちは昼間の時間になすべき仕事をし、夜は憩いと眠りの中に身をゆだねる。この素朴で楽天的な人生観が聖書本来のものです。ペトロは「二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠って」いましたが、主の天使がペトロの脇腹をつついて起こさねばならなかったほどぐっすり眠れたのです(使徒言行録12:6、7)。神が私たちと共におられるという確信は私たちに眠りを与えてくれます。