BC597:第1回バビロン捕囚(列王記下24:14)エゼキエルを含む
587:エルサレム陥落、第2回バビロン捕囚(列王記下25:6―12)
583:第3回バビロン捕囚(エレミヤ書52:30)
539:ペルシャのキュロス、バビロンを制圧
538:キュロス、捕囚民帰還許可勅令
537:帰還開始、全体の総数約5万人(エズラ記2:64―67)
神殿再建工事開始、基礎完成( 〃 3:8―13)
~520:工事中断(4章)
515:神殿完成(5、6章)
458頃:エズラ帰還(7章)
444:ネヘミヤ帰還
エルサレム城壁修復工事
開始(ネヘミヤ記3-6章)
333:イッソスの戦い → 330:ペルシャ帝国滅亡
ペルシャ王の治世
559―530キュロスⅡ
521―486ダレイオスⅠ
485―465クセルクセスⅠ
464―424アルタクセルクセスⅠ
捕囚のユダヤ人たちはキュロスの勅令によって帰還しました。キュロスは「私の牧者、油注がれた者」(イザヤ書44:28、45:1)とまで呼ばれています。「バビロンの王に70年の間仕える」とエレミヤによって預言された(25:11、29:10)70年とは、第1回捕囚帰還(597年)から、神殿工事のためにバビロンから上って来た人々までを含めた年月、またはエルサレム神殿滅亡(587)から神殿再建(515)までの年月でしょう。
捕囚帰還者の総合計は約5万人ですが(ネヘミヤ記7:66、67)、バビロンに残ったユダヤ人の方がはるかに多く、彼らは「デイアスポラ」(離散のユダヤ人)と呼ばれるようになりました。帰還者の名簿が詳しく書かれているのは、この人々が新生ユダヤの核となったからです。尤も「異民族の女を嫁に取って」強制的に離縁させられた者たちの名簿が詳しく書かれ(エズラ記10:18~)、信仰継承の厳しさが現われています。
キュロスはなぜユダヤ人の帰還を許したのでしょうか。そこには世界帝国の覇権による地政学的な計算がありました。バビロンを制圧して大帝国ペルシャを作ったのですが、この広大な帝国を維持するためには周辺国に反乱が起きないこと。また、はるか西に台頭しつつあったギリシャ帝国を牽制しなければなりません。そのためにはペルシャ帝国最西端のパレスティナが安定していなければならなかったのです。ここで反乱が起きては困りますからキュロスはユダヤ人懐柔策を取ったのです。
なお「アルタクセルクセス王への書簡」(4:6―23)は神殿工事の50年も後の事件の挿入文です。4:5の続きは4:24へと連がります。