出エジプト記編集の疑問

論壇:      出エジプト記編集の疑問       7/14/2019

出エジプト記は18章までと35~40章は時系列で、すなわち事件が起った時間順に描かれているように見えます。過越祭の説明(12章)や、「海の歌」(15章)の挿入記事はありますが…。しかし19章からの編集のやり方は現代人には理解しにくく、多くの学者が頭を悩ましています。

①19章の記述の「登って行くと」「戻って」「民のところに行き」「下って行き」「登って行った」「下って行き」は、論理的に文章がつながらない。

②24章で「登る」が7回も登場するのは何を説明したいのか。

③シナイ山の頂上に登ったのはモーセだけで、民は山のふもとにいたが、「ある人々」(19:13)は山の中腹まで登った。この人々が「アロン、ナダブ、アビフ70人の長老」(24:1、9)なのか、それともこれは「契約締結の日」という別の日のことか。

④19:7、8でモーセが「主が命じられた言葉をすべて彼らの前で語った」結果、民が「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います。」

と応える。これはなぜ「十戒」の内容紹介(20章)以前に書かれているのか。その「言葉」とは何だったのか。同じせりふがなぜ24:3に繰り返されるのか。

⑤「十戒」の後に施行細則として「法」と呼ばれる刑法、民法、刑事訴訟法、祭儀法、天幕の設計図、意匠、ファッション規定などが長く続く(~31章)のはなぜか。

⑥「主のすべての言葉」「法」(24:3)、「教えと戒め」(24:12)という4つの言葉使いの違いは何を指しているのか。

⑦モーセが書き記した主の言葉「契約の書」とは別に、神の指で記された(31:18)石の板が与えられている(24:12、31:18)。これをモーセが破壊した(32:19)ことは契約が破棄されたことなのか。モーセが切り出した石の板に戒めの言葉を刻んだのは神かモーセか。

⑧「十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した」(34:28)は20章の「十戒」とは全く別ものです(34:14-26)。これは「石の板」とは書かれていないから木の板だったのでしょうか。これを「祭儀律法の十戒」と呼ぶ学者もいます。それなら二種類の「十戒」があったのでしょうか。

以上様々な疑問が思い浮かびます。出エジプト記は多くの古い資料(伝承)を編集したものです。何といっても、山の頂上、中腹、山のふもとと、三カ所で同時に起ったことの言い伝え(伝承)のすべてを大事に保存していて、それを編集したのですから、現代人が考えるような「整理」した書き方ではなかったのです。編集者はどの伝承も省きたくなく、すべてを伝えたかったのでしょう。

pagetop