受難週

論壇:         「棕櫚の日曜日」        3/25/2018

本日は棕櫚の日曜日(パーム・サンデー)、ここからイエスの生涯最後の一週間が始まりました。「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして叫び続けた。『ホサナ。…イスラエルの王に』」(ヨハネ12:12,13)。

これはマタイでは「木の枝を切って道に敷いた」(21:8)。マルコでは「葉のついた枝」(11:8)となっています。「なつめやしの枝」は口語訳聖書では「しゅろ」と訳しました。黙示録では神の国の大群衆が手にこの枝を持って玉座の子羊を賛美しています(7:9)。要するになつめやし、オリーブの木の枝など、身近にある緑の枝を切って道に敷く、王の行進を迎える歓迎のジェスチャーです。国賓を迎える赤い絨毯のようなものです。

このようにイエスは大歓迎を受けたのですが、それは民衆が「政治的メシア」という期待感をイエスに投影したからです。しかしイエスは武力闘争宣言をせず、奇跡も行使せず、ファリサイ派ユダヤ人たちにあっさり逮捕され、惨めな姿を民衆の前にさらしました。あれほどイエスに熱狂していた人々は、今度は態度を変え、「殺せ。殺せ。十字架につけろ」と迫ったのです(ヨハネ19:15)。民衆の心の何と移ろいやすいことでしょう。

しかしこれは私たちの姿でもあります。私にとって神は私に幸福を与えてくれるべき存在。私が必要な時だけ呼び出すことができる者、神が私に何を望んでおられるかを聞こうとするのではなく、私の要求を神に押し付ける。このように神と私の関係が逆転してはいないでしょうか。

イエスはエルサレムへ入場された後、毎日ベタニヤの宿舎からエルサレムへ通い、境内やオリーブ山で説教し、多くの譬え話をされ、ファリサイ派と論争しました。ユダヤの暦は太陽が沈むと翌日になりますが、イエスは「除酵祭の第一日に」(マタイ26:17)過越の食事を弟子たちと取り、夜になって(金曜日)ゲッセマネの園で祈っている最中に、裏切り者ユダの導きで捕縛に来た一隊に逮捕され、徹夜で行われた6回の裁判(ユダヤ側で3回、ローマ側で3回)を経て、十字架にかけられます(朝9時頃)。

「昼の12時に全地は暗くなり、それが3時まで続いた」(マタイ27:45)。最後に大声で叫び、イエスは息を引き取られました。翌日は土曜日の安息日ですから、太陽が沈む前に遺体を葬らねばなりません。アリマタヤのヨセフとサンヘドリン議会の老議員ニコデモによって豪勢に葬られた(30kgもの没薬)イエスは、土曜日の安息日を経て、日曜日の早朝に復活されました。今週は主の受難を忍ぶ受難週です。聖書を読み、金曜日の受難日礼拝に出席しましょう。一週間の夕食のおかずを一品減らし、その分を慈善献金にささげましょう。

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