日本基督教団創立と日本基督改革派教会創立

論壇  日本基督教団創立と日本基督改革派教会創立  4/24/2022

日本のキリスト教の夜明けは1853年、アメリカのペリーの来航に次ぐ多くのプロテスタントキリスト教宣教師によって始まり、1872年には日本最初のプロテスタント教会「日本基督公会」が設立されました。

科学技術、欧米思想と共に来日したキリスト教は、最初は好意的に歓迎されました。しかし明治・大正・昭和における日清(1894)・日露(1904)戦争、韓国併合(植民地化)(1910)、満州国樹立(1932)、太平洋戦争(1941)の流れの中、ファシズムの台頭、天皇神格化、超宗教「国家神道」樹立はキリスト教と対立し、キリスト教は「敵性宗教」と位置付けられ、国家権力の監視の下、様々の巧妙な妨害によって自立性を奪われていきました。

ミッションスクールと教会の一部の抵抗(殉教)を除き、ほとんどの教会は国家神道に服従し、神社参拝、礼拝前国民儀礼を受け入れていきました。ウエストミンスター信条のような詳細信条を持たなかった日本の教会は「天皇とキリストとどちらが偉いのか」と問われても答える信仰論理を持たなかったのです。この反省と悔い改めから誕生したのが日本基督改革派教会です。以下に日本の教会の国家への迎合と敗北の歴史を概観します。

1938年・特高、憲兵隊による礼拝監視が全国の教会に拡大。

・大阪憲兵隊、大阪の全ての教会とキリスト教主義学校に対し13

カ条の質問状。第3項目で天皇とキリストとの関係を質問。

・日本基督教会大会議長富田満、朝鮮の平壌ですべての教会の神社

参拝を説得(国家権力の手先)。朝鮮耶蘇教長老教会第27回総

会、100数十名の日本人警官監視の中で神社参拝を決議。反対し

た朝鮮人聖職者50余名が殉教。200余の教会閉鎖。

1939 ・宗教団体法(国家によるいっさいの宗教の統制)成立。

・朝鮮総督府、朝鮮人の創氏改名(日本名にすること)を強制。

1940 ・日本基督教主義学校長会議、「日本的基督教教育樹立」を決議。

・10/17、皇紀2600年奉祝全国基督教信徒大会が青山学院で開催。

「吾等は全基督教会合同の完成を期す」と祈願。

1941 ・治安維持法改正法成立。第7条=「国体を否定し、神宮、皇室の

尊厳を冒涜する」ことへの厳罰明記。

・日本基督教団創立(日本プロテスタント教会の寿命は70年未満)

1945年8月15日:敗戦

1946年4月29日:日本基督改革派教会創立

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