最初のクリスマス記念礼拝

論壇:     最初のクリスマス記念礼拝     12/12/2021

初期キリスト教会ではクリスマスを祝う行事はありませんでした。教会がクリスマス記念礼拝を最初に行ったのは、記録による限りでは354年とされています。それはなぜでしょうか。

初期のキリスト教会の中心メッセージは「ナザレのイエスは復活した」(使徒言行録17:18)と、「イエスは主である」(フィリピ2:11)で、教会の最も重要な行事はキリストの復活を祝うイースターでした。

初期のキリスト教会は様々な異端の教えに攻撃されました。それは「地上を歩んだイエスと神がどのようにして一つであったのか」という問題で、人間の頭では合理的に説明できないからです(今も)。

異端の一つに「物質は悪、精神は善」とする二元論がありました。神が汚れた肉体を持つはずがないから「神の霊はイエスの洗礼のとき降臨し、十字架のとき離れ去った」と主張しました。神が人間に殺されるはずがないという贔屓の引き倒しでした。教会は「イエス・キリストが肉となって来られたということを…公に言い表さない霊はすべて…反キリストの霊です」(ヨハネの手紙1、4:2、3)と反論しました。

紀元325年のニカイア総会議において、イエスは真の人間であり真の神であったという「二性一人格」の教理と「三位一体」の教理が確立し、人間として生まれたイエスへの注目が大きくなったとき、イエスの誕生日を確定し祝う行事、クリスマスが始まったのです。

イエスの正確な誕生年(紀元前7~4年?)も誕生日も分かりません。教会は宣教的にこの問題を考え、当時のヨーロッパで広く行われていた異教の太陽の祭りの日の意味を「あなたたちの礼拝する蘇りの太陽」とは聖書が教える「義の太陽」、すなわち救い主の誕生を予言したものだと、キリスト教的に再解釈して宣教したのです。「わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る」(マラキ3:20)。

「12月の冬に羊飼いたちが野宿をして羊の放牧をしていたはずがない」という批判は当たりません。実はエルサレム神殿で犠牲にされる羊や山羊は真冬でも戸外で放牧されていました。だからこそ神聖な羊を世話する24時間勤務の羊飼いたちは、神殿にお参りに行く時間も与えられず、差別と矛盾の中で生きていました。だからこそイエス誕生の最初のニュースはこの羊飼いたちに知らされたのです。

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