論壇 東部中会を憂う 4/10/2022
先週東部中会第77回定期会が東京恩寵教会で開催されました。詳しい報告は近日中に配布されますので、私は一件だけ報告します。それはある教師(A)の復職願いと転出願いです。プライベートな問題ですが、すでに公になっていますし、私たちの教会の牧師交代における応用問題にもなりますので、私のコメントを述べます。
その教師は昨年11月の定期会で、勤務先の教会牧師辞職願いと教師休職願いを提出されました。理由は「適応障害」の病気とのことです。実はそれ以前の4月の中会でこの教会を配慮する特別委員会が設置されていました。理由はこの教会に混乱が起きているということです。具体的には、①A教師が説教及び牧会において一部の会員からの信頼を損なった。②一部の会員による高圧的な言動があった。③一部の高齢会員が懐古(報告書では回顧)主義によって牧師を批判した(委員会報告による。一部省略)。懐古主義とは簡単に言うと「M先生の時代は良かったねーそれに比べるとA先生はねー」という信徒の批判です。
私は批判者たちの意見が一切反映されていない報告だと反対意見を述べ、30分間の懇談会を提案しましたが、賛成者5名で少数否決されました。しかし結果的にはこの賛否の議論(20分近く続いた)の中で教会の内情が議員に良く理解されることになりました。信徒と教師の争いでは、中会は教師に肩入れしがちです。正論を吐く信徒などは目障りに映ります。教師が精神病になってしまった時はなおさらです。
日本人は議論が下手です。理由はデイべイト(debate、一定のテーマについて賛否二つのグループに分かれ、相手を打ち負かそうと討論すること)の授業を受けて来なかったからです。欧米では小学校からこの授業を取り入れています。デイベイトでは相手の意見を否定することは人格を否定することではないと教えられていますから、互いに堂々と意見を述べ合うことができます。日本では相手の意見を否定すると人格を否定したかのように受け取られ「メンツを潰した」と感情論になります。
さて教師の中会間移動(転出・転入)には中会の許可が不可欠です。A教師は驚くことに、すでに新しい教会への引越しが完了していたのです(教会の会員総会は2月27日)。このような中会軽視の行動についても、議員たちは何も問題を感じなかったのです。「法感覚」の欠如です。故矢内昭二先生なら真っ赤になって抗議されたことでしょう。私は病気の本人を目の前にして反対もできず、また励ましの言葉だけ発言する議員たちの中で黙っているしかありませんでした。
休憩時間に私はこの委員会に呼ばれて意見を述べましたが、最後にある委員が「この委員会は本当に仲の良い議員たちの集まりだった」と言ったのが非常に気になりました。委員会が仕事をちゃんとしたかどうかではなく、仲良しの集まりだったことが良かったというのです。議論などない平和な教会が彼らの理想なのでしょう。宗教改革運動は真理を追究する必死の戦いでした。その中から改革派教会が誕生したのです。隣人を愛することは、その人に正しさを要求し追求することでもあるのです。