黙示録の書かれた年代 

論壇        黙示録の書かれた年代      3/20/2022

ローマ帝国によるキリスト教迫害はいつから起こったのでしょうか。第3次伝道旅行でパウロがアカイア州に立ち寄ったとき、パウロはユダヤ人に告訴されますが、地方総督ガリオン(AD52―53年在位)は「悪質な犯罪なら…訴えを受理するが…問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものなら、私はそんなことの審判者になるつもりはない」と訴えを受け付けませんでした(使徒言行録18:12―17)。

ユダヤ教はローマの公認宗教でしたが、このころローマはユダヤ教とキリスト教の区別ができませんでした。ユダヤ人への一時的な迫害はありましたが(使徒言行録18:2)、クリスチャンであることから来る迫害はありませんでした。尤もユダヤ教からの迫害はずっと続きました。

AD64年、有名な皇帝ネロの放火による大火災が起きます。民衆の怒りがネロに向けられると、ネロはこれを当時目立ってきたクリスチャンに罪をなすりつけ、大迫害を起こしました。多数のクリスチャンたちは猛獣の餌食にされたり、火刑によって処刑されました。これがよく知られている第1次迫害で、伝承によるとパウロとペトロもこの時に処刑されました。

黙示録はローマの迫害の中で苦しんでいるクリスチャンたちを励ますために書かれたものですが、その年代は皇帝ネロの時代ではなく皇帝ドミテイアヌス時代(在位81―96年)だと言われます。その根拠は下記のとおりです。

1、教父エイレナイオス(130―202年)の「黙示録の幻が見られたのは…

それほど古いことではない。我々とほぼ同じ時代、ドミテイアヌスの

治世の終わり頃のこと」という証言がある。

2、キリストの復活と共にローマ帝国に広まったキリスト教会は、古いも

のでは60年を超えている。その中でエフェソ教会はすでに「はじめ

の頃の愛から離れている」と非難され、サルデイス教会は「死んでい

る」と言われるほどの年月が経っている(黙示録2:4、3:1)。

3、ラオデキアはAD60年の大地震で壊滅したが、自力で復興した誇り高

い町。そこに誕生した教会も今では「冷たく熱くもない」(3:15)と

言われ、時間の経過が感じられる。

4、皇帝個人ではなくローマ帝国そのものが教会の大きな敵となっている。

「七つの頭とは…七つの丘」(17:9)

5、「イエスの証しと神の言葉とのために首をはねられた」(20:4)迫害

をすでに体験している。

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